H27-27 比留間良八

 比留間良八(ひるまりょうはち)は、天保12年(1841)に、高麗郷梅原村(現日高市)の甲源一刀流の名門、比留間半造の長男として生まれた。
 文久3年(1863)、一橋家に召し抱えられ、一橋慶喜の護衛役として上洛。鳥羽・伏見の戦い後、江戸に戻り彰義隊に加わった。
 上野戦争では、彰義隊十四番隊長として奮戦し、さらに飯能戦争でも戦ったが敗れ、姉の婚家先の黒岩村横田家や平村(現ときがわ町)の叔父宅に潜伏した。明治5年(1872)に許されて、家督を弟の国造に譲り、成瀬村の田島家に養子に入った。その後は農業の傍ら剣術指南に当った。明治13年には法恩寺境内で、後に「昭和の剣聖」と称される高野佐三郎と対戦したといわれる。
 同33年に日本体育会越生支部撃剣場長に就任。大正元年没。戒名「剛堅良忠居士」。

027比留間良八の墓
比留間良八

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