H27-13 山岡鉄舟揮毫の扁額

 山岡鉄舟(鐡舟・鐡太郎)は、天保7年(1836)、小野朝右衛門高福の四男として江戸で生まれた。幼少時から神陰流槍術、北辰一刀流を学び、武術に天賦の才能を示した。のち、入婿先の山岡姓を名乗った。
 江戸城引き渡しの際の勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、駿府(現静岡市)で西郷に談判し、無血開城に尽くしたことで知られる。
 明治維新後は、静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、侍従、宮内大丞、宮内少輔などを歴任した。勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される。身長6尺2寸(188センチメートル)、体重28貫(105キログラム)という堂々たる偉丈夫であった。
 木呂子村(現小川町木呂子)に父の所領があった縁で越生にも来遊し、当寺に参禅した。閻魔堂の扁額も鉄舟の遺墨である。

013山岡鉄舟揮毫の扁額
山岡鉄舟揮毫の扁額

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