H27-04 渋沢平九郎自決の地

 慶応4年(1868)5月23日、飯能で官軍に敗れた一人の振武軍兵士が、顔振峠から黒山村へ下りてきた。官軍の斥候隊と遭遇した兵士は、孤軍奮闘後、路傍の石に座して自決した。首は越生今市の高札場に晒され、骸は黒山の人たちが全洞院に葬った。村人たちは、その壮絶な最期を讃え、「脱走の勇士様」(だっそ様)と崇めた。今市の横田佐平と島野喜兵衛は、密かに首を法恩寺に埋葬した。
 やがて、この兵士は振武軍頭取尾高惇忠(後に初代富岡製糸場長)の弟平九郎、享年22歳であったことが判明した。平九郎は渋沢栄一の妻千代の弟で、渡欧する栄一の見立て養子となり、渋沢姓を名乗っていた。
 「自刃岩(じじんいわ)」の傍らの茱萸(ぐみ)は、平九郎の血の色を宿す実をつけると言われ、「平九郎ぐみ」と呼ばれている。    

渋沢平九郎自決の地
H27-04 渋沢平九郎

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