H26-17 風船爆弾工場跡

 風船爆弾(気球爆弾)は、太平洋戦争中に日本陸軍が「ふ号兵器」の名称で密かに開発した兵器である。水素を充填した気球に爆弾を搭載し、ジェット気流に乗せてアメリカ本土を空爆するもので、昭和19年(1944)に実用化された。翌春までに9,300発が福島県、茨城県、千葉県の海岸から放たれ、太平洋を横断して推定約千発が到達した。  15キロ爆弾1発と5キロ焼夷弾2発を吊るす直径10メートルの気球は、和紙を蒟蒻糊で貼り合わせて作られた。楮を原料とする薄くて丈夫な細川紙から「気球紙」が開発され、産地の小川町、東秩父村とその周辺で生産が始まり、全国の和紙産地に拡大された。
 越生町でも生繭の共同乾燥施設である乾繭所(かんけんじょ)の施設を利用して、兵器製造会社の中外化工品越生作業所が製造に当たっていた。    

017フーセン爆弾工場跡
風船爆弾工場跡

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