H26-11 菊屋の坂

 大正末期の新道開通まで、道路はこの坂を通っていた。江戸時代から店を構えていた料亭の名を取って「菊屋の坂」と呼ばれ、河原町のここから北は「坂下」と通称されてきた。
 明治13年(1880)には、菊屋に舞台が常設された。当時の宣伝文に「口舌 今般當驛河原町へ新規定舞臺設立仕、仍而者本月五日大入、六日初日ニテ八日迄三日之間芝居興行仕候間、四方の諸君晴雨ニ不抱、御賑々敷御来車之程偏ニ奉希上也」とある。
 新井雄亮(明治28年生)は、著書『越生昔がたり』(昭和43年〈1968〉刊)に、「菊やの経営で、越生座という芝居小屋があった。歌舞伎をよくやり、終り頃、新派、活動写真などやった。濃尾の大地震の孤児だという楽隊の伴奏で、日露戦争の写真がよく上映された」と書き残している。

011菊屋の坂
菊屋の坂

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