080 渋沢平九郎自決の地

「自刃岩」の傍らのグミは、平九郎の血の色を宿すかのような赤い実を付けると云われ「平九郎ぐみ」と呼ばれている。
大字黒山字清水
慶応4年5月23日(西暦1868年7月12日)、飯能戦争に敗れ顔振峠から下りてきた振武軍の参謀渋沢(旧姓尾高)平九郎は、新政府方の斥候隊に遭遇し、孤軍奮闘も及ばず川岸の岩に座して自刃しました。享年22歳(満20歳)。首は刎ねられて今市(越生市街地)にさらされ、骸は黒山の村人たちが全洞院に埋葬しました。
平九郎は姉千代が嫁いだ渋沢栄一が渡欧する際に養子となり、渋沢姓を称していました。
平九郎の従兄で義兄、義父の渋沢栄一は、明治32年と45年の二度、慰霊、墓参に黒山を訪れています。

越生郷土かるた「へ」の札 「平九郎維新をしのぶ赤いぐみ」
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