077 黒山熊野神社

応永5年の棟札の写しには「奉造営将門宮」とある。山本坊は平将門の末裔と伝わり、昔の氏子たちは将門調伏祈願をした成田山参詣を忌避した。
大字黒山字北ヶ谷戸
室町時代の応永5年(1398)、山本坊栄円は黒山に熊野神社を勧請し、これを修験道の聖地熊野三山の本宮、天狗滝を新宮、男滝女滝を那智になぞらえて、「関東の熊野霊場」を整備しました。
修験道は深山幽谷で修行を積み悟りを得ようとする神仏習合の山岳宗教です。江戸時代には、修験者(山伏)は村落に定住し、加持祈祷を行う呪術師、祭司、医師、あるいは手習いの師匠として、村には必要不可欠な存在でした。
山本坊は京都聖護院を本山とする「本山修験二十七先達」として、関東一円の「霞」(配下)を管轄していました。
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