町長の部屋

五大尊花木公園のつつじ

道灌ゆかりの山吹の里

町長からのメッセージ

 越生町長の新井康之でございます。

 越生町は埼玉県のほぼ中央に位置し、関越自動車道坂戸西スマートICから15分、東武越生線とJR八高線とのターミナル駅、電車で池袋駅・八王子駅まで65分です。

 町の歴史は古く、はるか万葉集の東歌に歌われ、室町時代の武将、江戸城・川越城を築いた太田道灌公ゆかりの地でもあり、埼玉県の旧跡に指定されている「山吹の里」は歴史公園として整備されています。

 当町は絹の集積地として栄え、明治22年の町村制施行と同時に誕生した日本で一番古い町のひとつです。昭和30年に梅園村と合併して現在の越生町が形成されました。

 特産品は梅と柚子で、梅は収穫量・出荷量とも埼玉県一を誇り、柚子も県のトップクラスです。特に梅の歴史は古く、南北朝時代に、九州太宰府天満宮から小杉天満宮(現在の梅園神社)を分祀した際、梅を植えたことに始まります。「越生梅林」は、関東三大梅林の一つに数えられ、「五大尊つつじ公園」は関東一でもあります。このように花の里としても有名ですが、日本で唯一「ハイキングのまち」を宣言し、多くのハイカーが訪れています。日本観光百選の黒山三滝、埼玉県一の巨木(かみ)(やつ)の大クスの木もあります。

 この他、世界平和を発願して建立した世界無名戦士之墓があります。この建物は、関東平野を一望する大観山上に建てられ、国の登録有形文化財に指定されています。

 また教育環境は整いかつ子どもに美味しい給食を提供し、「全国学校給食甲子園」で優勝(平成29年)、準優勝(令和4年)に輝いています。中学校は校舎を木質化し、グラウンド2面、武道場や技術科室、給食ホールもあり、更に子どもの医療費は18歳まで無償で「子育てと教育のまち」でもあります。住環境も整い首都圏から一番近い里山の残る自然豊かな町です。

 私は、越生町の歴史を受け継ぐとともに、町民の皆様が安心して住める元気な越生町を創り、更に発展するよう努力してまいります。

町長のひと言

五大尊花木公園のつつじ見頃、道灌ゆかりの山吹の里

 今年は、梅、桜と急ぎ足で進み、町の花、つつじ・やまぶきの季節になりました。

 五大尊花木公園のつつじは見頃です。周辺の新緑とマッチして一層鮮やかです。山裾を鮮やかに彩るつつじは、江戸時代に寺僧が植えたのが始めと伝えられています。特に隣接する五大尊境内のつつじは、樹齢350年以上の古木が多数残されています。つつじ公園には、約10種類10,000株のつつじを植栽して整備され、関東一のつつじ園として知られています。

 やまぶきの花は満開を少し過ぎましたが、「山吹の里歴史公園」をご覧いただきたいと思います。山吹の里は、室町時代の武将で江戸城・川越城を築いた太田道灌公ゆかりの地で、県の史跡に指定されています。

 鷹狩の途中、にわか雨に遭った若き日の太田道灌が、蓑(当時の雨具)を借りるため、民家を訪ねました。出てきた少女は何も言わず、山吹の花の一枝を差し出しました。道灌は、蓑を借りたいのに山吹の花を差し出した少女の想いが分からず帰りました。後に「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌を教えられ、八重の山吹は、花は咲くけれど実をつけないので実はない。蓑は貸したいが蓑のない悲しさを山吹に託した少女の想いを知りました。自分を恥じた道灌は歌道を志し、文武両道の名将になったという逸話の場所が「山吹の里」です。

 皆様ご存じかも知れませんが逸話に思いをはせながら、やまぶきをご覧いただければと思います。

 

(4月21日更新)

過去のひと言

令和5年度 施政方針

プロフィール

新井 康之 (あらい やすゆき)

昭和19年7月生まれ

昭和32年 梅園小学校卒業

昭和35年 梅園中学校卒業

昭和38年 埼玉県立川越高等学校卒業

昭和42年 日本大学法学部卒業

平成19年7月 越生町議会議員に初当選(連続4期当選)

令和3年2月 越生町長に就任

歴任役職

・越生町議会議長(5年)

・入間郡町村議会議長会会長(2期)

・埼玉県町村議会議長会理事

・毛呂山・越生・鳩山公共下水道組合議会副議長

・越生町監査委員

・越生町駅前防犯パトロール隊隊長 他

町長交際費

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