越生の山車(おごせのだし)

「越生まつり」は、江戸時代から続く、牛頭天王(ごずてんのう)を祀る八坂神社の祇園祭(天王様)が発展したものです。祭典後、越生神社を出立した神輿が町内を練り歩き、夕方から六台の山車の上で繰り広げられる神田囃子の流れを汲む囃子の競演が、華やかな江戸の天下祭の名残を今に伝えています。
上町(かみちょう)

大正8年、東京谷中初音町二丁目と上三崎町の山車として、日暮里の諏訪神社の祭礼に引回されたものを購入。二重高欄四つ車、欄間仕立ての山車で、人形は豊島左衛門尉経泰(としまさえもんのじょうつねやす)。
仲町(なかちょう)

昭和29年、東京神田のだし鉄、山本正太郎と当時の棟梁長谷竹松氏の作で二重高欄四つ車、唐破風付周り舞台の山車。それまであった川越市志義町の屋台を入間市に売却し新調した。
本町(ほんちょう)
大正8年、東京神田明神前の亀家清秀の作で二重高欄四つ車で彫刻付の腰板をもつ。人形は神武天皇(じんむてんのう)。川越市松江町二丁目の県指定文化財、浦島の山車も同人の作。
黒岩町(くろいわちょう)

明治42年、今の熊谷市鎌倉町から購入した山車で三重高欄三つ車、唐破風付の囃子(はやし)台をもつ。人形は巨大な素戔鳴尊(すさのおのみこと)。町唯一の三重高欄の山車で、明治29年の作である。
河原町(かわらちょう)

昭和12年、東京神田の宮長の作で二重高欄四つ車、唐破風付の囃子台をもつ山車。台車は明治から祭礼のときに引回された花山車のものを利用しているため、一本柱を立てた跡がある。
新宿町(あらじゅくちょう)

大正13年、今の青梅市小曽木から購入したと伝えられている。一本柱で屋根などを支える四つ車の屋台型で、屋根に大きな龍の彫刻をのせる。車軸の台木に「文政十年丁亥六月吉祥日」と墨書がある。
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