霊廟完成当時の新聞「週刊埼玉」(週刊埼玉社)
昭和30年12月8日の霊廟完成を祝う落慶式の日に発行された新聞「週刊埼玉」(週刊埼玉社)に「世界無名戦士之墓落慶の悦び」と題し長谷部秀邦氏が寄せたコラム記事がありますので、原文のままご紹介します。
長谷部秀邦氏
「世界無名戦士之墓 落慶の悦び」
世界無名戦士之墓建設会 代表 長谷部 秀邦
永い間皆様方の絶大なご支援とご激励をいただいた世界無名戦士之墓がお陰をもつて御付託に応え、日本人お互いが戦争の総反省をすべき終戦十年目の十二月八日をぼくして落慶のご報告を申上げることが出来得る段階まで達しましたことは、私自身微力を省みまして感慨あるのみであります。 想い起すことは終戦直後の惨たる祖国の姿・・・マツカーサー元帥の統治下敗北の苦渋の中に唯々として甘んぜざるを得ないお互いが、祖国に殉じた同胞の枯骨が全地球の半ばに達する戦場で風雪にさらされて啾々と望郷のおもいやむことのない姿を瞼に浮かべながらも、為すことなくただ涙を呑むばかりであつた思いは忘れんとしても忘れがたない印象です。あの場合ただ祖国のために後は心配するな、引受けたと旗を振つてこうした防人を送り出したのは日本人ばかりであつたでしょうか。恐らく暗雲全地球を覆う当時、ほとんど世界の全民族がたどつた道であろうことは誰方でも推察さるることと存じます。世界第二次大戦がどういう動機で起り、冷厳な終末に到つたかはそれぞれの民族の立場において彼我色々の論拠はあるのでありますが、人類が地球上至上の存在である以上、私は冷静な理性を基盤とした真理で律することが正しいと信じ、同憂の人達と諮つて友愛精神にもとずき彼我の戦士がひたすらな帰一した目的であつたであろう祖国の為にという共通の精神を憶つて、有名な将師より無名の兵卒軍属に到るまで自己全力を傾けつくして 殉じた崇高無限の犠牲に対し、位階を超越し、一切無名平等に祀り、英霊安息の基地を築くべく世界無名戦士之墓と題して発願したのであります。爾来大方篤志の方々の御共鳴御援助と本県及び政府のご理解に依りまして、現在本県の交付不能の(引取人のない)英霊二百余柱と、終戦後政府が引揚げた各戦域ごとに合葬の霊骨アラスカ、アツツ、ペリリユー、サイパン、グアム、テニアン、アンガウル、ウエーキ、硫黄島、沖縄、宮古島、南鳥島、ガタルカナル、ブーゲンビル、ラバウル、ブナ、ラエ、マダン、ウエワクアインフエハーフエン、ムシユ、ポイキン、ロスネグロス、アイタベ、東部ニユーギニアビスマルク諸島、ソロモン群島で散華された英霊と、フイリツピン未亡人会長ノルマンデー夫人が来朝の際持来されたフイリツピン激戦地の霊士と、ビルマ協会々長モン・シゲル女史の斡旋によりビルマ激戦地の霊士が鎮まつております。皆様の御協力によつて築きましたこのお墓が、今後世界の恒久平和と人類繁栄のための友愛の霊びょうとして世人の大きな仰慕の的となつて英霊の安らかな冥福安息の基地となりますよう切にお願い致す共に、永い期間であつたにも拘わらず変わらない大きな御支援をいただいたことを心から御礼申し上げます。
