現在の位置

鈴木金兵衛の札所巡拝碑設置事業

五大尊つつじ公園

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四国第一番 巡拝碑

四国第一番 笠和山霊山寺 札所巡拝碑

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四国第一番 札所巡拝碑の拓本

 鈴木金兵衛は、天明元年(1781)に越生郷黒岩村で生まれた江戸日本橋の商人で、古帳類買入所(ふるちょうるいかいいれじょ)、今日でいう古紙回収業を営んでいました。家業にちなんだ古帳庵(ふるちょうあん・こちょうあん)の号で俳句をたしなみ、諸国を行脚して各地に句碑をのこしました。越生町内の7基をはじめ、今までに全国で計16基の句碑が確認されています。このうち、千葉県銚子市飯沼観音の「ほととぎす銚子は国のとっぱずれ」の句は、広く知られています。

五大尊は、平安仏木造五大明王像(五大尊)を本尊とし、古くから黒岩村の鎮守として祀られてきました。境内には多くの石造物が立っていますが、これらの大半は鈴木金兵衛に関わるものです。

故郷の五大尊を深く崇敬していた金兵衛は、五大尊境内に四国八十八ヶ所霊場と、西国・坂東・秩父百観音霊場の「写し霊場」を造ることを計画し、弘化2年(1845)に百八十八ヶ所霊場を写した石碑(巡拝碑)の造立に着手しました。

巡拝碑は、表に札所番・所在地・寺院名・梵字・弘法大師像が刻まれ、西国・坂東・秩父の巡拝碑には御詠歌も加えられています。また、それぞれの巡拝碑の裏には、金兵衛に賛同して建碑費用を拠出した、江戸の商人をはじめとする合計400人以上の寄進者名が彫られています。これらの巡拝碑は文化史、商業史の貴重な資料であるとして、町の文化財に指定されています。

巡拝碑の石材は小田原産根府川石で、江戸神田の石工が刻み、川越まで舟で運ばれ、そこから五大尊までは陸送されました。川越市下新河岸には、何らかの事情で五大尊に到達しなかった巡拝碑がのこされています。膨大な経費と手間をかけた大事業は、残念ながら完成に至らず、五大尊境内には、計104基の巡拝碑が順不同の状態で点在していました。

そこで、平成27年度に一般財団法人全国市町村振興協会の助成を受けて、不足する84基を新たに造りました。加えて、既存の碑と合わせて順に巡ることが出来るように、札所番と寺院名を刻んだ標柱を横に設置しています。現在、江戸時代に建てられた碑と合わせて、188基、4つの札所巡拝碑コースが整備されています。

平成28年度には総合案内板、事業の概要を示した事業竣功記念碑の設置を行いました。また、「古帳庵 鈴木金兵衛の句碑と巡拝碑」のパンフレットも刊行しました。写真のように、A3両面刷の四ツ折り仕様になっています。下記からPDFファイルをダウンロードできます。brochure01

「鈴木金兵衛の句碑と巡拝碑」パンフレット(PDF:4.3MB)

地図情報

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