有形民俗文化財・無形民俗文化財

有形民俗文化財

町指定

越生神社祭典 河原町山車(かわらちょうだし)

昭和63年4月1日町指定 大字越生(河原町)

 昭和12年(1937)に明治時代からあった花山車を再利用して、東京神田の宮長が製作した。二重高欄、唐破風付きの屋根は、当初から人形を載せる予定がなかったため、ほかの五台よりも背が高い。

河原町山車

越生神社祭典 新宿町山車(あらじゅくちょうだし)

昭和63年4月1日町指定 大字越生(新宿)  

 車台下部の木材に文政10年(1827)の製作銘があり、越生最古の山車である。
 昭和51年の修理銘に「箱根ヶ崎(金子)より昭和の初めに買入したもの」とあるが、小曾木村(現青梅市)から購入した(金子村<現入間市>から購入との説もある)との伝承もある。
 屋台型の山車で、当初は屋根の上に一本柱の人形台を載せていた。
 なお、かつての人形台は、現在、正法寺閻魔堂で、閻魔像の台座として使われている。

新宿町山車

越生神社祭典 上町山車(かみちょうだし)

昭和63年4月1日町指定 大字越生(上町)  

 明治19年(1886)に、谷中初音町二丁目・上三崎町両町の山車として作られ、東京日暮里の諏方神社の祭礼で曳き回された。
 都市化の影響で曳行困難になっていたものを大正八年に購入した。唐破風のない欄間仕立ての囃子台をもち、名工古川長延作の豊島左衛門尉経泰の人形を載せる。

上町山車

越生神社祭典 仲町山車(なかちょうだし)

昭和63年4月1日町指定 大字越生(仲町)

 昭和29年(1954)に、東京神田のだし鉄が設計と細部の仕上げを、本体は越生町上野の棟梁長谷竹松氏が担当した。
 唐破風付きの屋根をもつ囃子台に廻り舞台を備え、二重高欄の上に人形を載せる構造を持つ。かつて太田道灌の人形を載せる計画があった。  
 仲町ではかつて川越志義町(現川越市仲町)から購入した屋台型山車を曳いていたが、これを豊岡町(現入間市)に譲渡して新調費用に充てた。天保7年(1836)製作の、この山車は入間市指定文化財になっている。

仲町山車

越生神社祭典 本町山車(ほんちょうだし)

昭和63年4月1日町指定 大字越生(本町)  

 大正8年(1919)に神田宮本町の亀甲斎清秀(小倉秀太郎)が製作した。
 四輪で二重高欄、唐破風付きの屋根を持つ囃子台と、廻り舞台を備えている。腰幕の代わりに彫刻入りの腰板がある。人形は神武天皇が載る。亀甲斎清秀作の川越市松江町二丁目が所有する浦島の山車は県指定文化財である。

本町山車

越生神社祭典 黒岩町山車(くろいわちょうだし)

昭和63年4月1日町指定 大字越生(黒岩)  

 明治27年(1894)に熊谷の鎌倉町で新調したものを、明治42年(1909)に購入した。
 唐破風付きの屋根で、越生では唯一の二重鉾(三重高欄)・三輪の山車である。上に素戔嗚尊の人形が載る。

黒岩町山車

越生神社 神輿(おごせじんじゃみこし)

平成23年9月28日町指定  大字越生:越生神社  

 越生神社は、旧越生村村社の八幡神社・境内社の八坂神社、黒岩村村社の八坂神社のほか、市街地に点在していた神社を合祀して社号を改め、明治42年(1909)に造営された。
 越生神社には、合祀前からの3基の神輿が伝わっており、本宮は黒岩八坂神社、中宮は越生八坂神社、若宮が越生八幡神社の神輿であったと推測されている。

越生神社神輿

西和田天王社 神輿(にしわだてんのうしゃみこし)

平成24年7月13日町指定 大字西和田  

 土蔵内に鎮座する天王社神輿は、西和田の尾崎組と山田組が維持管理している。岩絵の具による鮮やかな枡組みの極彩色仕上げであり、同じく町指定文化財である越生神社神輿より古い様式と考えられる。
 神輿内部に「嘉永元□再興之」「佛師 武 伊那住人」「羽村 天王宮神輿 野崎源兵衛行年六十三才 同忰榮吉三十四才 造之」などの銘が墨書されている。現在の東京都羽村市の嘉永元年(1848)に再建された天王宮(天王社)の神輿が、何らかの経緯で、当地にもたらされたと考えられる。

無形民俗文化財

町指定

八幡神社の獅子舞(はちまんじんじゃのししまい)

昭和49年11月28日町指定 大字津久根:八幡神社  

 八幡神社の獅子舞は、もとは大字成瀬の諏訪神社の祭礼に奉納されていたが、享保13年(1728)に、それまで大字津久根で行われていた人形芝居と交換して始められたと伝えられている。「七五三掛かり」「四幕抱き」「花掛かり」の3庭からなる。

 

八幡神社の獅子舞

東山神社の獅子舞(ひがしやまじんじゃのししまい)

平成9年4月1日町指定 大字上野:東山神社  

  東山神社の獅子舞は、室町時代に多門寺三世住職の教伝が秩父から習得したと伝えられている。竹棹を挟んで獅子が舞う「棹掛かり」は越生の獅子舞では唯一行われる庭である。また、町内のほか三ヶ所とは異なり、ササラ(簓)をかき鳴らす四人の花子(はなご)は、男の子が務める。
 なお、東山神社は元来、多門寺の境内社として祀られた諏訪神社で、神仏分離令により明治45年(1912)、現在地に遷して社号を改称した。

東山神社の獅子舞

梅園神社の獅子舞(うめそのじんじゃのししまい)

平成9年4月1日町指定 大字小杉:梅園神社

 毎年10月下旬の秋祭りに奉納されるもので、小杉、堂山、上谷下集落の三地区の氏子が奉納する。「庭ずり」「一つ回り」「三つ回り」「雌獅子隠し」「白刃」からなる。
 終いの庭の「白刃」で雌獅子が太刀を持って三番叟を舞う例は、この獅子舞独特なものである。高山(現飯能市高山)の三輪神社から伝来したと言われ、戦後しばらくまで大満の八幡神社で存続していた獅子舞も同系統のものである。

梅園神社の獅子舞

住吉神社の獅子舞(すみよしじんじゃのししまい)

平成9年4月1日町指定 大字麦原:住吉神社  

 大字麦原の住吉神社は、戦国時代の城山築城に際して、この地に住み着いた草分けの人々が氏神として祀ったのが起源であると言われている。
 毎年10月中旬に奉納される獅子舞は、秩父郡小鹿野町両神薄の諏訪神社から伝えられたという。「四方掛かり」「花掛かり」「飛び抜け」「女獅子隠し」「一つ花」の5庭が演じられる。

住吉神社の獅子舞

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