絵画・彫刻・工芸品

絵画

国指定

絹本著色高野・丹生明神像(けんぽんちゃくしょくこうや・にうみょうじんぞう)

明治39年4月14日 国指定重要文化財(有形文化財・絵画)
大字越生(本町):法恩寺

 高野山に入山する弘法大師空海を誘導した2神の画像。狩人の姿で先導したといわれる高野明神と、その母とも妻ともされる丹生明神が対幅に描かれている。両幅とも鎌倉時代の作風で後鳥羽院の宸筆とされる筆跡がある。
 各縦77.3センチメートル、横39.4センチメートル。埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託。

絹本著色釈迦三尊及阿難迦葉像(けんぽんちゃくしょくしゃかさんぞんおよびあなんかしょうぞう)

大正3年4月17日国指定重要文化財(有形文化財・絵画)
大字越生(本町):法恩寺

 中央に釈迦如来、その両側に文殊菩薩・阿難・迦葉・普賢菩薩を画いたもので、元(げん)の天暦3年(1330)5月5日の銘がある。張思恭の筆で、源頼朝から寄進されたものと伝えられている。
 縦119.4センチメートル、幅64.2センチメートル。埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託。

県指定

絹本着色両界曼荼羅(けんぽんちゃくしょくりょうかいまんだら)

平成18年3月17日県指定(有形文化財・絵画  大字越生(本町):法恩寺

 胎蔵界曼荼羅は、鎌倉時代末期で県内最古の作品である。金剛界曼荼羅も室町時代中期を下らない作品。
 各縦141.3センチメートル、横121.8センチメートル。埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託。

絹本着色両界曼荼羅(金剛界)

金剛界

絹本着色両界曼荼羅(胎蔵界)

胎蔵界

彫刻

県指定

木造如意輪観音半跏像(もくぞうりょいりんかんのんはんかぞう)

昭和39年3月27日県指定 大字如意:如意輪観音堂  

 如意輪観音半跏像は、「如意(ねおい)の観音様」として親しまれ、観音堂の本尊として安置されている。頭部と胴部をカヤの一材から刻み出し、途中で前後に割り、内刳を施して再びはぎ合わせる割矧造りで造られている。胎内背部に平安時代後期の「応保二年(1162)/大歳壬午/十一月十二日甲辰/檀越長春/僧良仁」の墨書銘があり、関東最古の在銘彫刻として知られる。唇には朱を入れ、眉・眼・髭は墨で描いてある。総高104.2センチメートル。
 観音堂には「とっかえ餅」と呼ばれる行事が伝わっている。
 旧暦9月21日の夕方、檀徒衆が新米で作った大福餅を持ち寄り観音様に供え、月の出を待つ。やがて、月が昇ると、餅を交換しあって食べ、賑やかに夜を過ごす。
 古来の「月待ち講」に、米の作柄をみる意味合いが加わった行事と考えられている。 現在は11月3日(文化の日)の午後、檀徒役員が参籠する。この日は、一般人も参拝可能である。

木造薬師如来立像(もくぞうにょらいりつぞう)

平成3年12月6日県指定(有形文化財・彫刻) 大字黒山

 大字黒山の下ヶ戸薬師堂の本尊。ヒノキ材の一本造りで、肩から腹、腿にかけてY字状に流れる衣文表現から、平安時代中期の製作と推定される、県内屈指の古彫刻である。支柱に「元文三年(1738)九月」の修理墨書銘がある。
 頭部や両腕の肘から先を欠き、全身にわたり破損、虫害が甚だしく崩壊寸前の状態にあったが、平成5年から3ヶ年をかけて解体修理が行われた。
 現状像高138.6センチメートル。 埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託。

木造五大明王像(もくぞうごだいみょうおうぞう)

平成12年3月17日県指定(有形文化財・彫刻) 大字越生(黒岩):五大尊堂

 不動、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の五大明王像である。大日如来の化身・使者として人々を教化する存在とされている五大明王は、黒岩村(現・越生町大字黒岩)で鎮守として五大尊の名称で崇敬されてきた。
 カヤ材の割矧造り、彫眼で、眼や唇などの一部に彩色が施されている。簡潔でおおらかで個性的な作風から、平安時代末期の地方仏師による作と考えられている。古代・中世にまで遡る、五体そろった明王像としては県内唯一の例である。
 中央の不動明王像の胎内背面に延享元年(1744)の修理銘があり、各像の砥粉塗・光背・台座・持物などはこの時の後補と推定されている。埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託。

町指定

大宮神社の聖天像(おおみやじんじゃのしょうてんぞう)

昭和37年2月14日町指定(有形文化財・彫刻) 大字上野:大宮神社

 大宮神社の祭神は猿田彦命と天鈿女命であるが、内陣に聖天像が御神体として安置されている。聖天(歓喜天)はインドのヒンズー教から伝来した神で、仏法守護神となった。御神体の木像は象の頭を持つ男女の神が抱き合っている姿で、古来より秘仏とされ、夫婦和合、子授け、福徳の神として信仰されてきた。
 高さ12.5センチメートルの木彫。

高蔵寺の地蔵像

昭和37年2月1日町指定(有形文化財・彫刻) 大字津久根:高蔵寺

 真言宗如意山高蔵寺の本尊で、越生町の平安仏の中では早くから知られていた作品である。
 一木造り、彫眼、素地仕上げの地蔵菩薩は両肩から方位をまとい右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、蓮華台の上に立っている。鼻先・両手首・両袖及び膝から下、足先は後補のものである。制作時期は12世紀末葉、平安中期から鎌倉初期と推定される。  像高81.7センチメートル。現在、埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託中。

中村薬師像(なかむらやくしぞう)

昭和37年2月14日町指定(有形文化財・彫刻)

 一木造り、彫眼、古色仕上げで、平安時代後期の作と推定される。大字上谷の中村薬師堂(廃堂)の本尊として信仰されてきたが、左手に薬壺を持つものの、髪型や服装の特徴から、元々は菩薩像として造られたと推定されている。
 高さ39.3センチメートル。 現在、埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託。

中村薬師

下ヶ戸薬師十二神将像(さげどやくしじゅうにしんしょうぞう)

昭和49年11月28日町指定

 大字黒山の下ヶ戸薬師堂に祀られていた仏像。江戸期の作と推定される十二体そろった優品で、薬師如来に付き従う眷属として、脇侍の日光・月光菩薩像とともに祀られていたが、現在は越生町教育委員会が保管している。

法恩寺大日如来坐像(ほうおんじだいにちにょらいざぞう)

昭和57年6月25日町指定 大字越生(本町):法恩寺

 智拳印を結ぶ金剛界大日如来像。カヤ材の割矧造りで、地方仏師による平安時代後期の作と推定される。像高65.6センチメートル、膝幅46.5センチメートル。

法恩寺大日如来坐像

見正寺聖観音立像(けんしょうじしょうかんのんりつぞう)

昭和57年6月25日町指定 大字成瀬:見正寺

 弘法山山麓にある能満山見正寺の本尊で一木造り、平安時代後期の作と推定される。像高68.2センチメートル。  

石造役行者坐像 付 石像4軀(せきぞうえんのぎょうじゃざぞう つけたり せきぞうよんく)

平成19年月17日町指定 大字黒山 

 大平山の頂上近くに鎮座する高さ1.6mの石像。役行者とは、役小角の名前でも知られる修験道の祖とされる、山岳修行者である。前には使役した前鬼・後鬼の夫婦を従え、また、左右には不動明王、弥勒・勢至菩薩が祀られている。
 平成18年に何者かによって倒され頭部が破損し行方不明になってしまったが、地元の協力のもと修復・補完された。

役行者坐像と4体の石仏

工芸品

県指定

龍穏寺銅鐘(りゅうおんじどうしょう)

昭和48年3月9日県指定(有形文化財・工芸品  大字龍ヶ谷:龍穏寺

 単龍式の龍頭に旗挿が付く、朝鮮様式を取り入れた和鐘。寛文12年(1672)に旗本堀親知の妻霊台院の喜捨をもとに鋳造されたことが鐘銘に記されている。
 作者堀山城守清光は、京都の釡師の二代目で、上野東照宮の銅灯籠、日光東照宮の銅灯籠、下総総寧寺の銅鐘などの作品をのこした。
 総高166.7センチメートル、口径78センチメートル。

町指定

八幡神社の金剛盤(はちまんじんじゃのこんごうばん)

昭和37年2月14日町指定(有形文化財・工芸品) 大字津久根:八幡神社

 金剛盤とは、密教法具の金剛杵や金剛鈴などの法具を置く台である。三角の雲形で三脚がついていて、背面に以下の銘文がある。 「奉施入八幡宮宝前/鈴/五鈷金剛盤/正嘉二年戌午正月日承仕/持教」これは鎌倉時代中期の正嘉2年(1258)に、津久根若宮の地に八幡神社が存在していたことを裏付ける貴重な資料である。
 縦15センチメートル、横22センチメートル。現在、東京国立博物館に寄託。

最勝寺の笈(さいしょうじのおい)

昭和46年2月2日町指定 大字堂山:最勝寺

 かつて寺が所蔵していた大般若経を収めていた箱(笈)で、蓋裏に「武州入西郡越生郷/明応三年(1494)甲子二月五日大檀那永珍」の銘がある。

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