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H27-08 太田道真・道灌の墓

 太田道灌は、永享4年(1432)扇谷上杉家の家宰太田道真の嫡男として生まれた。

当時の関東は、関東管領、古河公方、堀越公方などの地方政権が分立する混乱状況にあった。道灌は24歳で家督を嗣ぎ、長禄元年(1457)に築城した江戸城、河越(川越)城、岩付(岩槻)城を拠点に、各地を転戦して勝利し、関東の安定に尽くした。

 しかし、その戦功と高潔な人柄は、かえって主君上杉定正の不興を買い、文明18年(1486)7月、相州糟屋の定正邸で謀殺された。退隠後の居館、越生自得軒で悲報に触れた父道真は、6年後の明応元年(1492)81歳で病没、当寺に葬られた。

 なお、道灌の墓塔は、終焉の地、神奈川県伊勢原市の大慈寺と洞昌院、太田家の子孫が鎌倉に開基した英勝寺にもある。

 

008太田道真・道灌の墓

008太田道真・道灌の墓

008太田道真・道灌の墓

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