越生梅林
越生の梅は、太宰府から小杉天満宮(現梅園神社)を勧請した際に、菅原道真に因んで梅を植えたのが起源と伝えられている。
江戸時代には、すでに梅は越生の特産品で、生梅を出荷していた記録もある。
明治になると観光地としても注目されるようになり、 明治三十三年には地元有志らが「古梅林保勝会」を結成し、翌年には、越辺川岸の一画が奈良の月ヶ瀬梅林にあやかって「新月ヶ瀬豊楽園梅林」と命名された。
同年、歌人で国文学者の佐佐木信綱が来遊し、「入間川高麗川こえて都より来しかひありき梅園のさと」の歌をのこした。
昭和十七年(一九四二)には、大字堂山字前河原を中心とする約二ヘクタールが埼玉県指定名勝「越生の梅林」に指定され、関東屈指の観梅の名所へと発展する礎となった。