慶応4年(1864)5月23日、新政府軍との戦い(飯能戦争)で、振武軍の兵士であった渋沢平九郎がここ黒山の地で自決しました。自決した時に座した石は「自刃岩」と、石の傍らにあるグミの木は、まるでその血を宿しているかのように真っ赤な実をつけることから「平九郎グミ」と呼ばれています。
渋沢平九郎は渋沢栄一の養子であり、「澁澤平九郎自決之地」の揮毫は渋沢栄一の孫である渋沢敬三です。
越生郷土かるた「へ」の札
「平九郎維新をしのぶ赤いぐみ」