太田道灌を大河ドラマに!

太田道灌とは?

 室町時代の永享4年(1432年)、扇谷上杉家の家老、太田道真の嫡男として生まれました。当時の関東地方は、関東管領・山内上杉家、古河公方、堀越公方などの地方政権が分立する混乱状況にありました。  道灌は、24歳で父の跡を継ぎ、巧みな戦略を用いて関東の安定に尽くしました。また、築城家としても優れ、江戸繁栄の基となる江戸城の築城をはじめ、河越城、岩付城を手がけました。しかし、道灌の軍功と高潔な人柄は、かえって主君・扇谷定正の不興を買い、文明18年(1486年)、相州糟屋(現在の神奈川県伊勢原市)の定正の館で暗殺されました。死に際に、「当方滅亡」と叫んで事切れたと伝えられています。

太田道灌をNHK大河ドラマに!

 越生町には、埼玉県指定旧跡の「伝山吹の里」、「太田道真退隠地」、道灌生誕の地とされる「山枝庵」など、道灌ゆかりの史跡や文化財があります。また、道灌の足跡や伝説は、関東一円に残されており、関係する自治体も多く、大切な観光資源となっています。

 道灌ゆかりの自治体や民間団体による「太田道灌をNHK大河ドラマに!推進実行委員会」では、平成26年から署名活動を行っています。  NHK大河ドラマの実現に向けて、ぜひ皆様のご協力をお願いします。

太田道灌NHK大河ドラマ推進組織図

太田道灌にゆかりのある自治体や民間団体による、太田道灌NHK大河ドラマ推進組織です。

山吹の里歴史公園
太田道灌像